ものづくりの心

友人はやせ君のブログを読んで、感心しつつ掃除をサボっているだらしなぽんちゃんです。



偉いわ〜。
おいらを部下として使ってくだせぇ。。。



それを見て、色々おいら考えました。



日本人の教育って基本的に技術者養成所的なところってない??
例えば、幼稚園の時のイベント、みんなで折り紙で鎖のワッかを作ったりとか、ティッシュで花作ったり。
他にも、誰かが入院したら何十羽も鶴折ったり、友達に手紙回すのに洋服とか特殊な折かたで送るので覚えたり。
おいらなんか、中学の時、チアリーディングのボンボンをビニールテープで作りましたよ。白と黄色の縞縞に。



当時は、私、そういうの大嫌いで苦手でしたが、最近そういうのをやらされていた意味がようやく解って来ました。
きれいな鶴を作るには、端をきちんと合わせて、きっちり折らないと出来ません。
そういうことを身につけることで、通常の書類とかもきっちり揃えないと気になるようになるのですよ。
それによって物を大事にする、丁寧に扱う心を身につけるわけですな。



最近、若者の短絡性、想像力の欠如とか言われていますが、大量消費の物に囲まれて育ち、自分から何も生み出さない使いっぱなしの生活を続けているからこそなのでは?と思います。
パソコンのデータみたいに簡単にボタン一つで消えてしまうものだけでは寂しいですな。
だったら、何か生み出さなくては。



最近、家の中を見渡しても「私が選んだもの」もしくは「誰かが私のために選んでくれたもの」ばかりで、「私が生み出し育んだもの」が何も無いことに気付きました。
ちょっと何か作ってみようかな〜、とりあえず、将来的に自分の服を自分で手作りできるといいな〜、と思い、刺し子辺りから始めようかと検討中です。
作品が完成したら、また、紹介します。



追 伸

美しい国」とか何とか言っちゃっている某総理大臣についてですが、あの男も想像力の無い人間の1人だと、某大臣の自殺〈?〉を見て思いました。(仮に自殺だとしてね)



亡くなられた方は言わば「某総理大臣の忠義の士」だったんでしょ?拾われて大臣になったようなもんだし。
亡くなられた方は、
「自分のせいでお世話になった人にものすごい迷惑をかけてしまったので迷惑がかからないよう辞めたい。」
と言う感情と
「でも、今自分が逃げてしまったら地元に内閣にもダメージがある。辞める訳には行かない。」
という2つの感情で揺れていたんだと思う。



精神疾患になりやすい感情状態で「二重拘束(ダブル・バインド)」というのがあります。
詳しくはキーワードもしくはここを見てね、と言う感じなのだが、亡くなられた某大臣は正にこの状態だったんだと思うのですよ。
こんな状態が長期間続いたらおかしくなって当たり前。



想像してみてください。
さて、この未曾有のダブル・バインドに決着をつける方法は?



簡単な話です。
この舞台に逃げ道を作ればいいわけですよ。
一番簡単な方法は、大臣を辞めること。これに尽きます。
一見冷たい方法かもしれませんが、選挙前の今ならば
「選挙前のイメージ戦略の為だ。君の実力は僕には良く分かっている。ほとぼりが冷めた選挙後にポストを検討するから、今は一線を引いてもらえないか。」
この一言で、彼は生き延びた。たらればの話ですがね。



慙愧に耐えなくしたのは誰なんだっちゅうの。。。
総理大臣のインタビューを見て眉をひそめたのは私だけではありますまい。
それ以上に、「奴も侍だった。」とか言ってる某老害都知事の方が私はムカつきましたが。
老害都知事は本当に江戸時代にでも行って欲しいものです。